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村人たちの「暗黙の結束」で死刑になった男..名張ぶどう酒事件

1961年(昭和36年)3月28日、三重県名張市の公民館で、酒席で振る舞われたぶどう酒に、毒物が混入され、17人が中毒し、5人が死亡した事件。犯行の目撃者がなく物証も乏しいなか、裁判所の判断は奥西勝への無罪、死刑、再審開始、再審取消と二転三転してきた。冤罪が強く疑われる。


名張毒ぶどう酒事件


1961年(昭和36年)3月28日、三重県名張市の公民館で、酒席で振る舞われたぶどう酒に、毒物が混入され、17人が中毒し、5人が死亡した事件。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


・逮捕された奥西勝




1961年(昭和36年)3月28日、三重県名張市葛尾という小さな村落で、事件は起こる。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


夜8時に村の生活改善クラブ「三奈の会」は、公民館で年に一度の総会を終え、懇親会に移った。そこで男たちには清酒が、女たちにはぶどう酒が振舞われた。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


32人の参加者が和やかに祝杯を挙げる中、女たちがもがき苦しみだし、5人が死亡、12人が中毒症状を起こした。女たちが飲んだぶどう酒には、農薬が混入されていた。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


警察は、事件当日にぶどう酒の購入、運搬に関与した3人の村人を重要参考人とし、死亡した5人の女性の中に妻と愛人がいた、奥西勝(当時35歳)を犯人として逮捕した。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


「妻と愛人を殺すために、公民館で一人になった隙に自宅から用意してきたニッカリンTを混入した・・・」と、奥西は自供。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


●自供と証拠の矛盾点


犯行の目撃者がなく物証も乏しいなか、裁判所の判断は無罪、死刑、再審開始、再審取消と二転三転してきた。
出典 揺らぐ死刑判決 ~検証・名張毒ぶどう酒事件~ - NHK クローズアップ現代+


・連日の厳しい取り調べ




奥西は、事件直後から連日ジ-プで連行されては長時間の取り調べを受けた。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


自宅にも警察官が泊まり込んで就寝から排便にいたるまで監視されるという日々が続いた。妻を亡くし、小さな子供が2人いた奥西は、家族のことを思い悩み、その場を逃れたいがためについに自供をした。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


・自白内容



出典 www.flickr.com


事件前夜、自宅にあった農薬ニッカリンTを竹筒に入れ、丸めた新聞紙で栓をして犯行を準備し、農薬のビンは当日の朝、近くの名張川に捨て、公民館にぶどう酒を運び、ひとりになった隙に竹筒内のニッカリンTを混入し、竹筒を公民館のいろりで焼いた、と自白。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


農薬ニッカリンTを捨てたとされる名張川を大々的に捜索したが、ビンの発見には至らなかった。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


・歯型が一致しない


奥西は、ぶどう酒の王冠を歯で噛んで開けたと「自白」。公民館の火鉢から発見された王冠のキズは、事件後の検証で噛んだ王冠の歯形と顕微鏡写真で一致すると裁判所は認定。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


ところが、この鑑定写真は両者のキズがあたかも一致するように見せるために、同じ写真を顕微鏡の倍率を操作して一致させた、不正鑑定だった。キズは、三次元的に測定すると両者はまったく一致しなかった。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会




・白いぶどう酒




懇親会で出されたぶどう酒は白。生き残った人は皆、飲んだぶどう酒は「白かった」と話していた。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


しかし、奥西の家にあった農薬「ニッカリンT」は赤色だった事が明らかになった。赤い農薬を入れればぶどう酒は変色し、皆気づくはず。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


・毒物は「ニッカリンT」ではなかった



出典 www.gettyimages.com


奥西はニッカリンTを以前購入していたため、犯人と疑われ、そのニッカリンTをぶどう酒に入れて犯行を行ったと虚偽の自白の中で述べている。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


しかし、毒物が混入されていたぶどう酒の飲み残りからは、ニッカリンTに含むテップとテップが加水分解した物質であるDEPが検出されているものの、トリエチルピロリン酸は検出されていない。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


事件に使われた農薬は奥西が所有していたニッカリンTではない、なにか別のテップ剤である可能性が高い。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会




●供述を変える住民たち


・一斉に変わった村人の証言




ぶどう酒が懇親会に出ることが決まったのは当日の朝。決めたのは三奈の会会長の農協に勤めるN氏で、農協職員のRさんに購入を命じた。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


Rさんは、H酒店で清酒2本とぶどう酒1本を購入し、N氏宅に運んだ。受け取ったのはN氏の妻・F子さん(事件で死亡)。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


その後、隣家の奥西がN氏宅に来て5時20分頃に公民館へ運んだ。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


事件当初Rさんや酒屋など運搬に関わった村人の供述では、ぶどう酒がN氏宅に届いたのは4時前。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


ところが事件から奥西が自供して逮捕されてから、関係者の供述はいっせいに変わり、「ぶどう酒が届いたのは奥西が来る直前」と証言を始めた。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会






・アリバイを偽造される


奥西はぶどう酒を運んだ後の公民館で10分間ひとりきりになり、その間に毒を入れたとされている。しかし、この「10分間」は本当にあったのか?
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


1.S子さんは、Y子さんから風呂敷包みを受け取り、1回目に公民館に行った。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


2.S子さんが、公民館に行っている時、トイレに立ち寄ったY子さんは、牛に運動をさせている奥西を見た。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


3.S子さんは、雑巾を取りに、N氏宅に戻る。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


4.S子さんは、竹柴と雑巾を持ち奥西は、清酒とぶどう酒を持って、途中出会ったFS子さんと、3人で公民館に行った。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


S子さんは事件直後の新聞記者の取材に対しても同様の証言をしているが、後に「私は5時頃、2回公民館に行った。一度目はぶどう酒を運ぶ勝さんと一緒だった。公民館へ行くと雑巾がなかったので、N宅に取りに戻り、もう一度公民館に引き返した。私が雑巾を取りにいっている間、奥西は公民館にひとりでいた」と供述を変更している。
出典 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会


●一審で無罪を勝ち取った



出典 www.gettyimages.com


1964年12月23日、津地方裁判所は、奥西に無罪判決を言い渡した。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


自白の任意性を否定しなかったが、目撃証言から導き出される犯行時刻や、証拠とされるぶどう酒の王冠の状況などと奥西の自白との間に矛盾を認めた。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


●二審で逆転死刑判決、死刑囚となって収監される


1969年9月10日、名古屋高裁(上田孝造裁判長)は、無罪判決を破棄し、奥西に逆転死刑判決を言い渡した。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


名古屋高裁は、目撃証言の変遷もあって犯行可能な時間の有無が争われたことについて、時間はあったと判断、王冠に残った歯形の鑑定結果も充分に信頼できるとした。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


1972年6月15日、最高裁判所(岩田誠裁判長)は上告を棄却。これにより、奥西の死刑判決が確定した。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


●10度に渡る再審請求


奥西は弁護士を雇わず、自力で1~4次にわたり再審申立てをしたが、いずれも棄却。
出典 弁護士報酬の敗訴者負担制度に反対 弱者は泣き寝入りしろと言うのですか


第5次再審請求からは日弁連が冤罪事件として弁護団を組み、本格的に再審支援運動も始まった。
出典 弁護士報酬の敗訴者負担制度に反対 弱者は泣き寝入りしろと言うのですか


弁護団が科学を用いて新証拠を提出するも、裁判官は「自白は信用性がある」として再審の扉を開こうとしない。
出典 眠る村〜名張毒ぶどう酒事件 57年目の真実〜|東海テレビ


・再審を認めれば出世出来ない..?



出典 amanaimages.com


2005年4月5日、第7次再審請求を受け、名古屋高裁(第1刑事部・小出錞一裁判長)は再審開始を決定した。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


王冠を傷つけずに開栓する方法がみつかったこと、自白で白ワインに混入したとされる農薬が赤い液体だと判明したこと、残ったワインの成分からしても農薬の種類が自白と矛盾すること、前回の歯形の鑑定にミスがみつかったことなどが新規性のある証拠だと認めた。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


しかし、2006年12月26日、名古屋高裁(第2刑事部・門野博裁判長)は、再審開始決定を取り消す決定をした。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


門野裁判長は、小出裁判長の認めた新証拠をすべて否定。「死刑が予想される事件で自ら嘘の自白をするとは考えられない」と、自白重視の判断。
出典 名張毒ぶどう酒事件/「司法官僚」裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステム - 来栖宥子★午後のアダージォ


再審を取り消した小出裁判長は翌年、東京高裁へ栄転となった。片や、再審決定した小出裁判長は依願退官している。
出典 名張毒ぶどう酒事件/「司法官僚」裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステム - 来栖宥子★午後のアダージォ






これに対し、弁護側が最高裁に特別抗告。最高裁は「推論過程に誤りがある疑いがある。事実解明されていない」と指摘し、審理を名古屋高裁に差し戻した。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


2012年5月25日、名古屋高裁(下山保男裁判長)は『捜査段階での被告人の自白に信用性が高い』と看做し、本件の再審開始の取り消しを決定。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


2013年10月16日、最高裁判所桜井龍子裁判長)は第7次再審請求にかかる特別抗告について棄却する決定を下した。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia


以降、第10次再審請求まで、いずれも棄却されている。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia




●奥西の死




無実を訴えてきた奥西勝はかねて患っていた肺炎のため、2015年10月4日に獄中死した。
出典 眠る村〜名張毒ぶどう酒事件 57年目の真実〜|東海テレビ






・村人の声














・妹が奥西の意志を引き継ぎ再審請求を続けている


現在は奥西の妹が再審を引き継ぐことになった。
出典 名張毒ぶどう酒事件 - Wikipedia












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