宮崎勤の家族、事件後の悲惨な末路…
世間を揺るがした小児愛凶悪殺人者、宮崎勤の家族のその後を調べてまとめてみました。
▼20世紀最大の凶悪犯
宮崎勤
1962年8月21日 - 2008年6月17日
1988年から89年、昭和から平成にかけて4人の幼い少女を次々と誘拐し殺害した連続事件。
出典 肉声が明らかに…宮崎勤元死刑囚「本当の姿」 | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
自らを「今田勇子」と名乗りマスコミ宛に送った犯行声明文が警察への挑戦とされ、4人を殺害した凶悪犯。
出典 肉声が明らかに…宮崎勤元死刑囚「本当の姿」 | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
2008年6月17日午前に東京拘置所で、死刑が執行された。宮崎の口から遺族に対する謝罪、事件に関する反省の念が語られることはついに最期まで無いままであった。
出典 宮崎勤 - Wikipedia
▼この事件の後、世間への影響がものすごかった
宮崎の部屋
宮崎がいわゆるおたく・ロリコン・ホラーマニアとして報道されたことから、同様の趣味を持つ者に対して強い偏見が生じた。
出典 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia
特に、宮崎が殺害後の幼女をビデオカメラで撮影、これらを膨大な数に及んだコレクション・ビデオテープの中に隠し持っていたという点で、現実と空想・妄想と犯罪行為の境界が曖昧で、明確な規範意識の無さが犯罪に及ばさせたとみなされた
出典 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia
1990年代前半の電脳学園・宮崎県有害図書指定訴訟、沙織事件、有害コミック騒動などの規制強化に向けた騒動の引き金となった。
出典 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia
漫画業界など、性的なものを感じさせるあらゆるものに圧力
出典 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia
例えば小林よしのりは自身の漫画で、女性の乳首が見えているとして編集者から修正を加えられ、激昂した。このころの業界は乳首の描写ですら規制する風潮であった。また遊人の青年誌漫画『ANGEL』などの人気作品も連載中止に追い込まれた。
出典 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia
▼家族へ及んだ影響も大きかった。
加害者家族はどこまで責任を負わなければならないのか..
出典 www.gettyimages.com
宮崎には両親の他に姉妹二人兄弟二人がいて、事件後、「お前達も死ね」「殺してやる」という旨の嫌がらせの手紙が大量に殺到した。
出典 宮崎勤 - Wikipedia
▼家族の悲惨な末路とは…
父親は自殺4年後の1994年に父親は自宅を売って、その代金を被害者の遺族に支払う段取りを付けると、東京都青梅市の多摩川にかかる神代橋(水面までの高さ30m)から飛び降り自殺を遂げた。
出典 宮崎勤 - Wikipedia
売りさばかれた宮崎の実家。かなり大きい。
長女職を辞め次女は結婚予定であったが自ら婚約を破棄した。
兄弟会社を辞職。
父親の弟5つの会社の役員を全て辞職をした。また、父親の次の弟には2人娘がいるが、職を辞めてしまい、旧姓に戻るため妻と離婚をした。母親の兄の2人の息子も辞職した。
父親とかねてから交流があった新聞記者は、「この事件を通して、加害者の家族は罪を犯した加害者以上の苦痛に苛まれることを知った」「加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした」と語っている。
▼宮崎が育った自宅は現在更地に
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