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168人が死んだアメリカ最悪のテロ..連邦政府ビル爆破事件

1995年4月19日にアメリカ合衆国オクラホマ州の州都オクラホマシティで発生した爆破テロ事件。子供19人を含む168人が死亡、800人以上が負傷した。


連邦政府ビル爆破事件



出典 www.aflo.com


1995年4月19日にアメリカ合衆国オクラホマ州の州都オクラホマシティで発生した爆破テロ事件。
出典 オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件 - Wikipedia


子供19人を含む168人が死亡、800人以上が負傷した。
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2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件が発生するまでは、アメリカ国内で最悪の犠牲者が出た事件であった。
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●死刑囚となったティモシー・マクベイ


ティモシー・マクベイ
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1968年、自動車工場に勤める父と旅行会社に勤める母の長男として、ニューヨークの北部の小さな町に生まれた。
出典 孤独なテロリストの自己


ティモシーが10歳の時、両親が性格の不一致を理由に離婚。突然に母親が行方も告げず、荷物を纏めて出ていってしまった。
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父親は工場で夜勤が多く、その間子供たちは近所の住民が交代で面倒を見ていたが、マクベイは友人たちとバスケットボールで遊んだり、普通の男児だった。
出典 ティモシー・マクベイ - Wikipedia


・頭脳明晰な青年



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学校の成績は特に優秀ではなかったが、後に最高ランクの奨学金を難なく受給。高校卒業後地元のコミュニティーカレッジに進学してコンピュータの勉強をするが、「飽きた」として唐突に退学している。
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ティモシーは、次に陸軍に入隊した。入隊時の成績は優秀なもので、特に数学や電子工学などは高得点を得た。
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基礎訓練を受ける間、後に共犯となるテリー・ニコルズに出会う。爆発物を作る訓練の時、製造法をすでに知っていることを自慢していた。射撃訓練では、ほぼパーフェクトの点数を出し表彰。
出典 http://www.nsjap.com/jp/dataroom/mcveigh.html


マクベイは湾岸戦争終結後、グリーン・ベレー部隊編入のための訓練プログラムに登録したが、訓練開始2日目に体力的な理由からプログラムから外された。マクベイは自分が外された事に大きく落胆し、1991年12月31日に除隊している。
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除隊後、マクベイは生まれ故郷の近くで警備員の仕事に就き、事件の数ヶ月前までカンザス州で働いていた。
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●167名を殺害



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マクベイは借りた4,000lbs(約2t)のトラックに陸軍時代からの友人である共犯者、テリー・ニコルズの協力を得て、
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採石場から盗んだダイナマイトを伝爆薬とする、ニトロメタンと硝安から成るANFO爆薬を満載した車爆弾を作成した。
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アメリカ国内で最悪の犠牲者



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1995年4月19日、マクベイはオクラホマ州にある、連邦政府合同庁舎ビル前に車を停め、車爆弾を仕掛け、午前9時2分に伝爆薬のダイナマイトに装填された雷管の起爆スイッチを押した。
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連邦ビルは前半分の80%が崩れ落ち、167名が死亡、850名以上の負傷者が病院に収容された。
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・政府への復讐



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事件を起こした4月19日は、2年前に武装カルト教団の信者80名以上がFBIとの銃撃戦で死亡した日であり、マクベイはこれを政府の横暴であるとし、連邦ビル爆破はその復讐であるとした。
出典 オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件 - Wikipedia


・最後はミントアイスを食べて死刑執行



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その後、主犯のマクベイは、2001年6月11日に薬物による死刑が執行された。
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彼が望んだ最後の食事は、1Lのチョコチップ入りミントアイスであった。
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