感情を奪われた男の復讐..ロボトミー殺人事件
1979年(昭和54年)、東京都内で精神科医の妻と母親が刺殺された強盗殺人事件。 眼窩から棒を差し込み、脳から前頭葉を切り離す「ロボトミー」手術を受けた桜庭章司は医師への復讐を行った。
●ロボトミー手術
いまでこそ精神疾患は投薬治療が主流となっているが、薬が開発されたのは1950年代と、意外にも最近のこと。薬のない時代、水責めや旋回椅子といった治療法が考案された。今にして思えば一種の拷問……。
出典 ノーベル賞で辿る医学の歴史~第5回 人間から“感情”を奪い去ったロボトミー手術の功罪【エピロギ】
同様に、一時的に流行したものの現在では全く行われていない治療法がある。それが「ロボトミー手術」。
出典 ノーベル賞で辿る医学の歴史~第5回 人間から“感情”を奪い去ったロボトミー手術の功罪【エピロギ】
眼窩(まぶたの下の空洞)から棒を差し込み、脳から前頭葉を切り離す。かんしゃくやヒステリーを抑える効果があり、主に統合失調症やうつ病の患者に対して行われた。
出典 ノーベル賞で辿る医学の歴史~第5回 人間から“感情”を奪い去ったロボトミー手術の功罪【エピロギ】
当時はノーベル賞も取った手術方法だった
出典 www.amazon.co.jp
1936年に手術を行い、精神症状がぴったりと治まることを証明。この技術はアメリカの医師によって改良され、「ロボトミー手術」として広く知れ渡った。
出典 ノーベル賞で辿る医学の歴史~第5回 人間から“感情”を奪い去ったロボトミー手術の功罪【エピロギ】
しかし、重大な副作用として、患者から「感情」を密かに奪ってしまった。人間の感情や意志を司る前頭葉を切り離すことで、患者は心を失い、まるでロボットのようになってしまうのだった。
出典 ノーベル賞で辿る医学の歴史~第5回 人間から“感情”を奪い去ったロボトミー手術の功罪【エピロギ】
●そんなロボトミー手術を受けた男、桜庭章司
・よく働くが、暴力的な男
桜庭は、昭和4年に長野で生まれた。
出典 ロボトミー事件
通訳の資格も取得するなど文武両道で努力家だった。一方で、短気で暴力に訴えることがしばしば見られた。
出典 ロボトミー事件
昭和37年頃、桜庭はスポーツ新聞への投稿がきっかけでスポーツ評論家・作家として著名人となり当時の月収もサラリーマンの5倍以上を稼ぐ売れっ子になった。
出典 ロボトミー事件
昭和39年、東京の妹宅で母親の面倒のことで口論。桜庭は器物損壊で警察に逮捕された。一週間留置された桜庭は、都立梅ヶ丘病院で「精神病質」と鑑定された。
出典 ロボトミー事件
・恐れていた「ロボトミー」手術
これにより、以前からの暴力行為は精神的な疾患が原因であるとし「桜ヶ丘病院」に強制入院させられ、ロボトミー手術を強制させられようとしていた。
出典 ロボトミー事件
桜庭はこの手術をかなり恐れていた。病棟で出会った若い女性がこの手術の1ヵ月後に首つり自殺をしていたからだ。
出典 ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1): 月刊『記録』
手術をどうしても回避したいと考えた桜庭は医師の藤井氏に懇願するとともに、母親にも手術の承諾書に絶対にサインしないよう手紙で頼んでいた。
出典 ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1): 月刊『記録』
・強行した手術
ところが藤井氏は肝臓の検査と偽って桜庭を手術台にあげ、ロボトミー手術を強行した。母親を病院に呼び出して熱心に説得してまで実施した手術だった。
出典 ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1): 月刊『記録』
1年6ヵ月後に退院した桜庭はまったく別人になっていた。
出典 ロボトミー事件
何事にもやる気が起きず二度とペンは持てなかった。
出典 ロボトミー事件
・副作用
退院後、自動車学校へ通い、建設重機運転用の大型特殊運転免許を習得。千葉県中山で従事していた。その合間に、東京へ数日間戻り、原稿執筆を続けた。術前の5分の1の速度でしかペンは進まなかった。
出典 ロボトミー殺人事件(1979)
新しい仕事もうまくはいかなかった。
出典 ロボトミー殺人事件(1979)
ブルドーザーを運転中、突然、はげしい目眩に襲われ、四肢を突張らせた。トラクターは暴走した。
出典 ロボトミー殺人事件(1979)
3日後にも同様なトラブルが起きた。後遺症のテンカン発作であった。職場を幾つか変えたが、いつも発作にみまわれた。睡眠薬を飲めば発作は防げるものの、運転はできない。運転はやめるよりほかはなかった。
出典 ロボトミー殺人事件(1979)
●医師への復讐
その後、後遺症による精神的意欲減退に悩まれた結果、手術をした医師を殺害しようと決心。
出典 ロボトミーはそれからどうなったか : Timesteps
1979年9月26日午後5時過ぎ、桜庭はデパート配達員を装い、円形の帽子を入れる段ボール箱を持って藤井医師の家を訪ねた。
出典 ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1): 月刊『記録』
対応に出た藤井氏の妻の母を押さえつけ、手足を手錠かけ、目と口をガムテープでふさいだ。しばらくして帰宅した妻も同じように縛りあげた。
出典 ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1): 月刊『記録』
桜庭は、恨みのある藤井医師の帰りを待ったが、たまたま同僚医師の送別会に参加していた藤井医師は夜8時を過ぎても帰宅しなかった。
出典 ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1): 月刊『記録』
桜庭は次第に焦り始め、このまま逃走したのでは二度と目的は果たせないと二人を刺殺した。
出典 ロボトミー事件
・逃走したが副作用ですぐに逮捕..
出典 www.aflo.com
物取りに見せかけるため、約46万円が入っていた藤井氏の給与と約35万円の残高があった妻名義の預金通帳を持って逃走した。
出典 ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1): 月刊『記録』
しかし、てんかんの発作を抑えるために大量に睡眠薬を服用していた桜庭は、かなりもうろうとしていた。池袋駅の改札前で職務質問を受け、そのまま逮捕された。
出典 ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1): 月刊『記録』
・無期懲役判決
脳内に手術用器具が残留しており脳波の異常も判明したが、
出典 ロボトミー殺人事件 - Wikipedia
「無罪か死刑でなければロボトミー手術を理解していない」として無罪か死刑のどちらかを望んでいたが、1996年に最高裁で無期懲役が確定した。
出典 ロボトミー殺人事件 - Wikipedia
近年「自殺を妨げられない権利である「自死権」の確認を求めて刑務所から裁判を行い、最高裁まで行き2008年、棄却された。
出典 ロボトミーはそれからどうなったか : Timesteps
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