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生き返った死刑囚!棺桶から呻き声....石鐵県死刑囚蘇生事件

今からおよそ150年前、明治時代に死刑の執行が失敗される事件がありました。もちろんいまはそんな事ありません。


●明治時代のお話



出典 amanaimages.com


明治時代の1871年愛媛県の農民田中藤作は、一揆の際に放火したとして死刑が宣告された。
出典 石鐵県死刑囚蘇生事件 - Wikipedia


●当時の死刑執行方法:絞柱



体を柱に縛りつけたあと、首に縄をかけ、後に鉄の重りをつけて首を絞める絞殺刑を行う道具。


明治政府は1870年に斬首など従来の死刑執行方法に代わり絞首刑にすると布告が出された。
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この時最初に導入されたのが絞柱という懸垂式の処刑器具であった。
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この器具は死刑囚のうなじに縄をかけ、その縄の先に20貫(約75Kg)の重石を吊り下げて絞首する仕組みであった。
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この処刑器具には欠陥があり、わずか2年しか使われず、絞罪器械図式に変更された。
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これは場合によっては被執行者が蘇生するというものであった。理由として致命的な打撃を与えられなかったということもあるが、当時の処刑手順の定めでは「重石を架けて3分後に死相が現れてから縄を解く」というもので、心臓停止後5分間経過するまで執行を継続しなければ蘇生する可能性がある事が指摘されている。


なお、絞柱で処刑された死刑囚のうち3人が蘇生したことが記録されている。
出典 石鐵県死刑囚蘇生事件 - Wikipedia
経緯やその後の経緯について記録が現在に伝わるのが田中藤作に関するものが唯一である。


●棺桶からうめき声が...



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1872年11月28日に松山市の徒刑場で、田中の死刑が執行された。
出典 石鐵県死刑囚蘇生事件 - Wikipedia


田中の遺体は親族が引き取った。
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徒刑場から約4Kmほど運んだところで棺桶からうめき声が聞こえたため、蓋をあけたところ、田中が蘇生していた。
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田中は村に生きて戻ってきたが、村人は石鐵県の聴訟課に蘇生の事実を届出、今後についての指示を仰いだ。
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1873年9月、中央政府から指示が届いた。その文章は、生き返ったとしても既に法に従い刑罰としての執行は終わっているのだから、再び執行する理由はない、よって戸籍を回復させよというものであった。
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田中は26年後の1898年まで生きたとされる。なお彼の墓は墓石がなかったため竹薮の中の何処かにあるという。
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一時的に仮死状態になった後遺症のためか、精彩を欠き小さな小屋で孤独な生活をしていたという。