【拷問中に家族に電話】少年ばかりを狙ったディーン・コール
「キャンディマン」と呼ばれたディーン・コルルは2人の少年たちと共に27名以上の少年を誘拐・拷問・殺害した。
ディーン・コール
「キャンディマン」
1939年12月24日、インディアナ州に誕生。とても厳格な父親と極端に息子をかばう母親の第一子として生まれた。
出典 同性愛快楽殺人犯ディーン・コルルと2人の少年 ― 拷問中に親に電話をかけさせるサディストの闇
1963年、ディーンの母親は継父と離婚。ディーンをキャンディ店の副社長にした。この年、キャンディ店で働いていた十代の少年が、ディーンの母親に「ディーンから性的ないたずらをされた」と相談しているが、母親は少年をクビにし、何もなかったことにした。
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1964年8月10日、ディーンは父を見習う形で米軍に入隊。しかし厳しい軍隊の生活についていけず、1年も経たないうちに退役。
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キャンディ店に戻ったディーンは、少年たちにただでキャンディをふるまうようになった。バイトとして少年たちに店を手伝わせたり、遊べるたまり場も作り、少年たちを招いた。
ディーンは少年たちをひきとめるため、ただでマリファナや酒をふるまい、少年たちから「優しい“キャンディ・マン”」と呼ばれるようになった。
ディーンと2人の少年との出会い
デヴィット(右)
エルマー(左)
ディーンの店にたむろする少年たちの中に、デヴィッドという少年がいた。デヴィッドの両親は5歳のときに離婚しており、父が住むヒューストンと母が住むボーモントを行き来しながら育った。頭のよい子だったデヴィッドは1967年、12歳のときにディーンからキャンディをもらい顔見知りになった。
両親からかまってもらえずに育ったデヴィッドは、色々な遊びを一緒にしてくれるディーンを信頼するようになった。遊びまくっていたせいか、中学に入ると成績が落ちてしまい15歳で学校を中退。その後は母のもとで過ごすことが多くなったが、「父親に会う」と頻繁にヒューストンに来てはディーンの家に泊まった。
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ディーンはデヴィッドをかわいがり、口淫をしてもらうたびに1000円手渡した。
エルマーはデヴィッドを介しディーンと遊ぶようになる。頃合いを見てディーンは「秘密なんだけど、実は自分は組織的泥棒に属している」と打ち明け、エルマーに盗みの仕事を手伝って欲しいと依頼した。
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小遣い欲しさにエルマーは盗みを繰り返すようになり、ディーンは自分の命じるままに動く彼の姿を満足そうに眺めた。
興奮できるのは少年だったディーンは、デヴィッドのほかにもマリファナパーティーに来る少年たちに金を払って性的関係を結んでいた。しかし、そのうち、少年を思いっきり犯したい、全ての性的欲求を満たしたいという欲望を持つようになる。
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殺人の始まり
1970年、家出したホームレスの少年たちを誘い、強姦、拷問した上で殺害するようになった。
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2人目の犠牲者の少年を拷問板にはりつけ、暴行を加えていた時、その現場をデヴィッドに目撃されてしまう。コールは激怒し、デヴィッドを追い払った。後にコールは「あの2人は殺した」とデヴィッドに打ち明け、口止めとして車を買い与えた。
出典 殺人博物館〜ディーン・コール
デヴィッドはそのうち、「獲物になる少年を連れてきたら2万あげるよ」という言葉にも従うようになった。
出典 ディーン・アレン・コルル
サディスティックな拷問
拷問に使われた板
ディーンとエルマーがワンボックスワゴンで街を流し、気に入った少年がいると声をかける。声をかけられた少年は、ワゴンに自分と同じくらいの少年が乗っているのでまったく不審に思わず、コールのワゴンに乗り込んでいく。
出典 世界を驚かせた怪事件・猟奇事件 キャンディ・マン 笛吹き男の少年狩り
家に招き、薬とアルコール、もしくは麻薬を与え、意識を失わせる。
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全裸にして、手錠をかけ、ベッドか拷問ボードの上に寝かせる。そして、心行くまでアナルセックスを楽しみ、少年たちのペニスをしゃぶったり、思いっきり噛んだりして楽しみ、ロープで絞殺するか、ピストルで射殺するかで命を奪う。
出典 (4ページ目)同性愛快楽殺人犯ディーン・コルルと2人の少年 ― 拷問中に親に電話をかけさせるサディストの闇
サディステックな性癖のあるディーンは強姦、拷問しながら少年たちに親に電話するように命じることもあった。「自分のことをちゃんと構ってくれなかったから、世話してくれなかったから、放置しっぱなしだったから、こうなったんだ」と、泣き叫びながら言わせた。
出典 (4ページ目)同性愛快楽殺人犯ディーン・コルルと2人の少年 ― 拷問中に親に電話をかけさせるサディストの闇
2人同時に強姦、拷問することも多く、その場合、残った1人はすぐには殺さず、遺体を見せながら恐怖心を味わせた。こうして心身ともに痛めつけて殺した後、ディーンは彼らの鍵を「記念」として収集した。
出典 (4ページ目)同性愛快楽殺人犯ディーン・コルルと2人の少年 ― 拷問中に親に電話をかけさせるサディストの闇
遺体は大きなビニール袋に入れて、格納庫、海岸、湖近くの林、海岸のいずれかに埋める。
出典 (4ページ目)同性愛快楽殺人犯ディーン・コルルと2人の少年 ― 拷問中に親に電話をかけさせるサディストの闇
事件の終わり
1973年8月、ヘンレーがディーンのパーティーのひとつにを連れて現れるとコルルは怒って彼に食って掛かった。「お前のせいで何もかも台無しだ!」と怒りをぶつけた。
出典 ディーン・アレン・コルル
デヴィットとエルマーの2人は縛られ、ディーンが拳銃を押しつけながら囁いた。「お前たちを殺してやる。だが、その前にたっぷりと楽しませてもらうぞ」
出典 殺人博物館〜ディーン・コール
コールが拳銃を手放すと、エルマーは素早く掴んで銃口をコールに向けた。「ほう。殺れるもんなら殺ってみな。ほら、殺ってみるよ!」
出典 殺人博物館〜ディーン・コール
エルマーは無我夢中で引き金を引いた。コールは床に崩れ落ちた。
出典 殺人博物館〜ディーン・コール
1973年8月8日、エルマーは自ら通報。「たった今、人を殺しました」
出典 殺人博物館〜ディーン・コール
2人の供述から、13歳から20歳までの少年の遺体、27体が発見。全員が強姦、拷問されており、死因は絞殺、または銃殺だった。エルマーよりも先に手助けをしていたデヴィッドが知っているより、はるかに多くの少年たちをディーンは殺していたのだった。
出典 (6ページ目)同性愛快楽殺人犯ディーン・コルルと2人の少年 ― 拷問中に親に電話をかけさせるサディストの闇
2008年のエルマー
1974年、エルマーは、有罪判決を受け、6つの終身刑(禁錮99年)が下った。
出典 (6ページ目)同性愛快楽殺人犯ディーン・コルルと2人の少年 ― 拷問中に親に電話をかけさせるサディストの闇
デヴィット
デヴィッドは、1974年6月、終身刑に処された。
出典 (6ページ目)同性愛快楽殺人犯ディーン・コルルと2人の少年 ― 拷問中に親に電話をかけさせるサディストの闇
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